スポンサーリンク

Kumiの日常

一過性全健忘症〜父の記憶がなくなった1日〜

2016年9月7日

本ページはプロモーションが含まれます。

投稿日:2016年9月7日 | 最終更新日:2022年11月29日

9/1~3まで、実家に帰っていたのですが、その間に父がとんでもない状態になりました。

9/1は、電車で地元まで行き、両親に迎えにきてもらい、両親と一緒にお昼を食べたあと、父は会議のため東京に行く予定でした。

お昼を食べたあと、父は予定通り東京へ。
私と娘と母は、少しショッピングセンターで娘を遊ばせたあと、実家へ行き夜ご飯を食べていました。

すると、17:30頃。
会議が終わったはずの父から母へ電話が。

父「どうやって東京まで来たかわからない」

父は呆けてしまったのだろうか?
でも、3年ほど前にも同じようなことがあったんです。
なので、母は「またか」と思い、
「○○駅まで車で行って、電車で行ったのよ。だから○○駅まで電車で帰ってきてね」と言って、電話を切りました。

父が最近、物忘れがたまにあるのは私も認識していたので、あまり気にせずご飯を食べていました。

電車に乗ったであろう父から、母にメールが。
「記憶が曖昧です」

すぐに電話をかけなおしましたが、電車の中だったらしく、「またかけなおす」と言って切れました。

1時間くらい経って、父から電話が。
父「なんかよくわからない。車は?」
母「駅に停めたの。車わかる?」
父「キャラバン。」

キャラバンは、父の前の車です。

これはおかしい。と私は思い、迎えに行こう!と母と家を出ました。
でも私も母も、父の車を運転できないので、次兄に連絡し、次兄を連れて駅に向かいます。

次兄は父に電話してくれ、そのあとも、父から次兄に何度も電話がいっていたよう。
無事父を駅の近くのパーキングで保護し、父の車を次兄が運転して実家へ帰ってきました。

父は、
「今日は何月何日?」「何曜日?」
「○○(私)はどうやってここまで来たの?」
「○○(次兄)はどうやって来た?」
「今日は朝からなにしてたんだっけ?」
「車は?」「車の鍵は?」
というようなことを、何度も何度も聞いてきました。
私は、同じ事を何十回も説明しました。

私は、父が認知症になったのかと思いました。
でも、認知症って、こんなに急にはならないらしいです。

次兄が長兄に連絡してくれて、長兄家族も実家に集まります。
長兄のお嫁さんは、元看護師なので頼もしいです。

長兄が来るまでも、来てからも、父は同じ質問を何度も何度も繰り返し聞いてきました。
次兄が、今日一日の行動をメモに書いてくれたけど、書いてくれたことも忘れてしまうようでした。

この前日に大多喜に母と出かけたことも、お盆に新潟へ帰省したことも、私たち夫婦が住んでいるところも忘れてしまったようです。
でも、家族の名前はみんなわかるようでした。

元看護師の義姉の話によると、1晩経つと思い出す場合もあるし、様子を見ましょうと。
でも、脳梗塞などだったりすると危険なので、24時間以内に病院へ行ってねとの事。
脳梗塞だったら怖いので、血流を流す為に、父に水を飲ませました。

22:00頃。
翌日に病院へすぐに行こうと言う事で、次兄・長兄家族は帰っていきました。
父は疲れきった様子で、ご飯も食べられず、寝付けないようでした。

私は、同じような症状を調べまくると、「一過性全健忘症」という病気をみつけました。
次兄からも、この症状が当てはまる、というメールが来ていました。
義姉も、明日までに記憶が戻れば、当てはまると言っていました。

一過性全健忘症だったら、心配なさそう。
どうか、この症状でありますように。
私もなかなか寝付けませんでした。

翌朝9/2。

娘が5時過ぎに起きたので、居間に行くと、父も下りてきました。
眠れなかったみたい。

父「今日、病院に行くんだよな」
私「(病院に行く事は、覚えているんだ)そうだよ。だからそれまで寝ていなよ」
父「眠いし、疲れたから行きたくない。」

行かなきゃダメだよ、と軽く言って、また寝かせました。

8時頃起こすと、やはり行きたくないと。
3年前に同じような事があったときも、翌日に検査をしたら、脳に異常になかったそう。
また今回も異常がなかったらと、行きたくないようでした。

でも義姉に相談し、「引きずってでも連れて行かないとダメ」と言われたので、義姉に父を説得してもらい、次兄と一緒に病院へ行きました。
次兄は、「一過性全健忘症」の詳細を印刷したものを父に渡し、それを読んで父も少し安心したみたい。

食欲がなかったら、病院でお腹が空いたら食べれる様に母におにぎりを作ってもらったら、ちゃんと食べたみたい。

朝には、記憶はほとんど戻っていました。
でも、会議中から長兄家族が来る前まであたり(15:00頃〜20:00頃?)の記憶はないって。

診察と長い検査を終え、結果を聞くと、
「脳の断面、神経、血管全て異常なし」との事!!!
本当に良かった!!

おそらく、3年前の同じような症状も、一過性健忘症だろうと。
ただ、2回あることはほとんどないそうです。
でも、気になるのが、前回も東京での会議の時だったんです。

父に聞いてみると、その会議は結構な精神的負担がある役目みたいで。
進行したり、まとめたりと、しんどいみたい。

そういえば、よく思い返すと、最近父からSOSが出ていました。
詳しくは書きませんが。

せっかく退職してのんびり過ごせるはずだったのに、相変わらず忙しい毎日だったので、ストレスが溜まっていたんでしょうね。

もう仕事しなくても、両親は年金だけでじゅうぶん暮らしていけるはずなので、仕事も減らしたらと伝えました。
会議の進行役も、もう次の世代へ渡したらいいんだよ。
いつまでもお父さんひとりで頑張るのがいいことじゃない。
次の世代を育てないと。
と伝えると、静かにうなずいていました。

SOSが出ていたのに、仕事人間だった父が急に仕事がなくなったら、呆けるんじゃないかと思い、仕事を辞めてもいいんじゃないと言ってあげられなかったのが、非常に悔やまれます。
本当は、のんびりしたかったんだね。
旅行に行きたかったようで、健忘の発作中に、生命の危機を感じたのか(笑)、
「呆ける前にみんなで旅行に行きたい」と言っていました。

来年の春に、両親と私たち家族で旅行に行く予定でしたが、その前に親族全員で旅行に行こうということになりました。

父が現役時代は、旅行なんてほとんど行った事なかったし、私が旅行に誘っても、忙しいから行けないと断られたことがありました。

ようやく時間ができたのだから、みんなで旅行に行こうと思います。
そして、父は頑張り屋さんなのでつい甘えていたけど、頑張りすぎる人間だということを忘れていました。

みんなそれぞれ、自分の仕事や家族で忙しいけど、今回は兄弟全員が父の事を大事にしないといけないと、改めて思ったんじゃないでしょうか。
本当に、何事もなくて良かった。

そして、たまたま私が実家に帰っているときで良かったです。
心配で仕方なかったし、次兄も長兄も、翌日は仕事でしたから。

病院から帰ってからは、父は生き生きとして、思い出し始めたことをぺらぺらとよく喋っていました。
私はもともと入っていた予定をキャンセルして、父と過ごしました。
娘ともゆっくりたくさん遊べて、嬉しそうでした。

父の事で安心したのは良いんですが、病院にあった血圧測定器で母が血圧を測ると、なんと185/88!!
高すぎるでしょ〜!!!!

母は味付けが濃く、油や調味料をたくさん使います。
しかも、「もったいない」といっては、残り物を全て食べてしまうタイプ。

父よりも母の健康のほうが心配です!!

薄味は1週間で慣れるから頑張れと、エールを送っておきました。
娘が成人するまでは生きていたいそうなので、本気で取り組んでもらわなければ!!

その料理を食べる父の健康も大事ですしね。
というわけで、大変な経験をした2日間でした。
父にも、母にも、まだまだ健康で長生きしてもらいたいと思います。

スポンサーリンク

-Kumiの日常