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毒親

毒親を理解するのにオススメの本

2019年1月5日

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投稿日:2019年1月5日 | 最終更新日:2022年11月29日

毒親に関する本を、読了しました。

ずいぶん前に読み終わっていたのですが、ようやく記事にできる状態になりました。
毒親と向き合うのは、精神的にとてつもなくエネルギーが要ります。

「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から (新潮新書)

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確実に言えるのは、私はこの本を読んでとても救われました。
毒母の謎な行動や発言を理解することができました。

 

毒親が、毒親であり続ける理由

毒親が、毒親であり続ける原因のひとつに、発達障害が挙げられるとのことです。
他にも、不安定な愛着スタイルや、うつ病など、精神的問題を抱えているケースがあります。

詳しくは本を読んでほしいのですが、私の母はこの中のASD型発達障害だと考えています。
加えて、不安定な愛着スタイルを持っているとも考えます。

ASDタイプの発達障害の親には、次のような人がいます。
・いわゆる「空気が読めない」タイプ
・自分が不安や恐怖を感じることについて断定的に述べるタイプ
・他のこととのバランスを考えず、自分が考えたことを押しつけるタイプ

実母に、あてはまります・・・!

あまりに当てはまりすぎる「発達障害」の特徴

もう、本当に目からウロコなことばかりでした。
発達障害を抱えたが故、毒親となった親の特徴が、あまりに毒母と当てはまりすぎるのです。

一度にひとつの事しか注意の部屋に入れられない

母は、一度にひとつの事にしか注意を向けられません。
同時にあれこれ指示や注意事項を示されても、ひとつのことしか守れないのです。

 

「心の理論」がわからない

毒母は、人の心を慮ることができません。
こう言ったら相手は怒ったり傷つく、ということがわかりません。
「事実だから、思ったことを言う」ので、人が嫌がることでもおかまいなしに口にします。
結果、人間関係でのトラブルも絶えません。

ASD型発達障害の人は、生まれつき「人の気持ちを予測する」という機能が備わっていないのです。
後から学習することができるのは、実際に自分が体験したことだけです。

体験せずして、人の気持ちを予測することはできないのです。

これは実母の例ですが、私の母世代は、よく子供に「かわいそう」と言いますよね。
「母乳じゃなくてかわいそう」
「保育園に預けられてかわいそう」
「アレルギーがあってかわいそう」

なんでも「かわいそう」と言います。

例によって、母は孫(私の甥っ子)に、よく「かわいそう」と言っていました。
私は、
「子供に「かわいそう」と言うと、「自分はかわいそうな子」だと思い込んでしまうから、言ってはダメだよ」と言ったことがあります。

でも、母は体験していないので、理解ができないのです。
その後も何度も言っていました。
もちろん、私の娘にも。

その後ずいぶんして、母は義母(私の祖母)から、
「〇〇さん(母)、かわいそうね~」と言われたんです。
祖母は認知症なので、その言葉にはなにも毒気も意味もないと思います。

すると、母は「かわいそうって言葉嫌い!お父さんも、子供に言っちゃダメなのよ!!」と怒っていました。

自分が体験したことはわかるけど、体験していないことは、言われても理解ができないのだなと思いました。

 

子供を、「体の小さな大人」として扱う

私は、小さいころから「泣くな」と言われて育ちました。
でも、子供って泣くものですよね。
泣く度に、泣く自分を否定されるものですから、私は「泣いてはいけない。すぐに泣く自分は、悪い子なんだ。」と思って育ちました。
でも、泣くことを許されずに育つと、余計によく泣くようになるのです。

母は、私の娘が赤ちゃんの時でさえ、「泣かないのよ~!」と言っていました。
まだ1歳にもなっていない娘が、なんと泣くのをこらえるようになったのです。

私は母にとても嫌悪感を抱きました。
「泣くなと言わないで。」と何度も訴え、やっと言わなくなりました。
娘には、「泣いてもいいんだよ~」と、何度も言ってあげました。

そしたら娘は泣くのをこらえることはなくなったので、安心です。

うちの娘は、「泣いてもいいんだよ~。泣いてたら抱っこしてあげるから、安心してね。」と言って育てたので、あまり泣かない子に育ちました(笑)

私は母の、子供に「泣くな」と言うのが理解できなかったのですが、
「子供を体の小さい大人」としてみているというのを知り、納得しました。

ちなみに私の大好きな義母(夫のお母さん)は、うちの娘に「泣くのはわたしの意思表示だからねえ~」と、子供が泣くことを当然と受け止めてくれます。

自分の領域を侵害されると、反射的に攻撃してくる

私が家出をしたきっかけのことを書きますね。
友人2人が実家に泊まりにきて、朝楽しくみんなで朝食を作っていました。
ちょうど節分の時期で、母が恵方巻も作ってくれていて、しきりに「食べろ」としつこく後ろで言っていました。

私は、「あとで食べるから、今はこっちを作っているから」と何回か応えたのですが、
突然、母は友人二人がいるにも関わらず、私や友人を口汚く罵倒し始めたのです。
鬼の形相でした。

私は日常的にその罵倒を受けていたのですが、友人の前で、しかも友人をも罵倒し始めたので、とてつもなくショックでした。

その友人2人は、偶然にも2人とも親から精神的虐待を受けていたので(今思うと奇跡です)、
「そういうこともあるよ~」みたいな反応で、こちらもとてもびっくりしました。

そのまま家を出たわけですが、今思うと母のあの「発狂」は、母にとっては「自分の領域(料理だったのか?キッチンだったのか?)を侵害されたので、パニックになって攻撃した。ということになるのでしょう。

こんな特徴をもって、適切に子供と関われと言うほうが、無理なのかもしれません。

毒親になった経緯が理解できた気がします。

私がちょっと安心したこと

子供に対して不機嫌に接すると、子供に悪影響があります。

でも、いつも常に上機嫌でいられるわけがありません。
人間ですから。

私は自分が不機嫌な姿を見せることに、恐怖に近いものがありました。
「娘に悪影響があったら嫌だ」という思いからです。

でも、本を読んで安心しました。

「たまたま不機嫌な親がひどいことを言ってしまったとしても、日常的な関係性が安定していれば、愛着スタイルに致命的な影響を与えるわけではありません。」

とのことでした。
日常的に、娘には愛情を伝えられていると思います。

理解したところで、「和解」はできるのか

本を読んで、毒親が毒親になった理由は理解しました。

理解をしたからと言って、いきなり母と良好な関係が築けるかというと、そうではありません。

おそらく、私がもっと精神的に成長しないと無理です。

今は、そこまで私の精神は育っていません。
母に会えば、欲しい言葉を求めてしまうし、心ない言葉を言われれば傷つくし、「母を正したい」「謝ってほしい」とも思うでしょう。

でも、それは私にとっても、母にとっても、しんどいことです。
無理なことを、お互いに要求している状態なのですから。

今は、とにかく、無理なのです。

おわりに

発達障害を抱えた上に、自身の愛着スタイルも不安定な中で子育てをするのは、相当しんどいことと想像します。

ただでさえ、子育ては忍耐に次ぐ忍耐の繰り返しです。

まだ、自分の「私を見て」の時期が終わっていない母に、「私を見て」の塊の子供を育てるのは、容易でないでしょう。

よく途中で投げ出さず、育てあげてくれたものだと思います。
(罵声やプライバシーの侵害は本当に嫌でしたが)

同情はしますが、その心の空洞を埋めてあげるのは私には無理だな、と思いました。

でも、そろそろ子どもを母に会わせてあげてもいいかな、とも思っているのが本音です。

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まとめ記事

これまでに書いた毒親に関する記事をまとめてみました。
ぜひご一読ください。

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