投稿日:2025年5月5日 | 最終更新日:2025年5月5日
人とのつながりは、本来温かく楽しいものです。
でも時折、ふとした違和感を覚えることがあります。
それは、「この人は信頼や絆ではなく、情報やメリットを目的に近づいてきているかもしれない」
そんな感覚を持ったときです。
今回は、私が出会った「ピヨちゃん」という人物を通して、
その違和感と、そこから見えてきた人間関係の本質について考えてみたいと思います。
かつての友人・ピヨちゃんとは
ピヨちゃんは、大学時代の友達で、一見とてもフレンドリーな人でした。
なんか黄色いイメージがあるので(笑)、ピヨちゃんとします。
明るく、気さくで、馴れ馴れしいほどに距離を縮めてきます。
ぱっと見では「人懐っこい」と感じるかもしれません。
しかし、近くにいると、どこか心がざわつきました。
温かい安心感ではなく、薄っぺらい「取り繕った親密さ」。
その違和感は、時間が経つほどに強まっていきました。
ピヨちゃんの行動例

今思えば、ピヨちゃんの行動には、いくつもの「サイン」がありました。
- 財布をなくしたとき、「父親にバカにされるから」という理由で、まったく同じ財布を買い直した(本当は気に入っていないのに)
- 私が好意を寄せていた男性に、「私の依存が重い」と相談され、それをわざわざ私に伝えてきた
- 「ものをあげないと好かれない」と思い込んでおり、無理にプレゼントをし続けた
- 既婚者でありながら、イベントで既婚を隠して男性とホテルに行った(行為はなかったとのこと)
- 私が彼氏と喧嘩して悩んでいた話を、飲み会の席で話題にしようとし、抗議すると泣いて被害者になった
どのエピソードにも共通していたのは、
人とのつながりを「信頼」ではなく「利用」や「承認欲求を満たす手段」として扱う感覚でした。
ピヨちゃんの内面構造
ピヨちゃんは、人間関係を「勝ち負け」でしか見ることができなかったのだと思います。
- 誰よりも優位に立てるか
- 誰に好かれて、誰に負けたくないか
- どうすれば自分の立場を守れるか
常に、目に見えない勝負を心の中で繰り広げていました。
愛情や信頼を受け取ることは、彼女にとって「負け」や「借り」になってしまう。
だからこそ、温かい絆を築くことがどうしてもできなかったのだと感じます。
10年越しにわかったこと
ピヨちゃんとは、10年ほど前に自然に縁が切れました。
最後に印象的だったのは、私が出産したとき、ピヨちゃんが出産祝いを持ってきてくれたときのことです。
そのとき、彼女はこう言いました。
「やっと返せた」
ああ、ピヨちゃんにとって、私との関係は「恩」でも「喜び」でもなく、ただの「負債」だったのだと、その一言で理解しました。
もらったから返す。
返したからチャラ。
チャラにできたから、もう関係を続ける理由もない。
そしてその後、ピヨちゃんは静かにフェードアウトしていきました。
彼女にとって人間関係とは、取引であり、負債管理であり、損得の世界だったのだと思います。
私自身の歩み

私も、かつてはアダルトチルドレンでした。
ピヨちゃんと出会った頃、私も心にたくさんの傷を抱えていました。
それでも、この10年、怖いことにたくさん向き合ってきました。
傷つくかもしれないけれど、本音で人と向き合うこと。
拒絶されるかもしれないけれど、素直な自分を出すこと。
孤独を感じるかもしれないけれど、偽らない自分で生きること。
何度も怖い思いをしながら、そのたびに心が少しずつ強くなっていきました。
だから今、私ははっきりと言えます。
人とのつながりは、損得でも取引でもありません。
優しさと信頼の中にこそ、本当の幸せがあるのだと。
まとめ
今、ピヨちゃんがどこで、どのように生きているのか、私は知りません。
もしかしたら、同じパターンを繰り返しているかもしれない。
もしかしたら、どこかで自分自身と向き合い始めたかもしれない。
それでも、私は私の道を歩きます。
怖いものに向き合いながら、本当の意味での「信頼」と「優しさ」を育てながら、
これからも人とのつながりを大切にしていきたいと思っています。
そして何より、怖くても逃げずにここまで来た自分を、私は心から誇りに思っています。