投稿日:2025年6月30日 | 最終更新日:2025年6月30日
以前にもブログに書いたのですが、職業訓練校で出会った「魔女(仮名)」は、なぜか初対面の頃から私に妙な張り合い方をしてきました。
▼参考記事
その理由は、私が彼女にとって「なりたかったけれどなれなかった理想像」だったからだと思います。
魔女は、特別でいたい人でした。
「評価されたい」「認められたい」「上でいたい」
そんな思いを強く持っていたのでしょう。
でも、そうなれていない現実を前にしたとき、彼女の目に映っていたのは「自然に好かれる私」だったのかもしれません。
今回は、魔女の「張り合い」という行動の裏にある心理構造と、 私が「戦わずして圧勝した理由」について、じっくり言語化してみました。
魔女の張り合いムーブとは?
魔女の張り合い方は、まさに自己演出のオンパレードでした。
- 私の服装や持ち物、言葉のチョイスをさりげなく真似してくる
- 私が話している輪に無理やり割り込んでくる
- 発言にかぶせて、自分の話に持っていこうとする
- 私の周囲の信頼関係に、ズカズカ入り込もうとする
つまり、私が築いた居場所や信頼関係を、乗っ取ろうとする行為です。

でも、そういう「雰囲気」や「空気」って、簡単にコピーできないんですよ。
そこに違和感が出てしまうから、周囲も気づいていたようです。
私が「魔女と合わないから距離取ってる」というようなことを伝えると、「あぁ・・・ね。」「わかるよ」といった反応でした(笑)
魔女がどんなに「自分も好かれたい」と空回りしても、その行動がむしろ「嫌われる行動」だったんですよね。
魔女が本当に欲しかったもの
魔女が求めていたのは、ただの評価や人気ではなく、きっとこんなものでしょう。
- 無理をしていないのに、自然に人が集まる存在感
- 自然体で築いてきた、あたたかい信頼関係
- アピールせずとも評価される空気感
- がんばらなくても安心して自由でいられる在り方
どれも「演出」では得られないし、演出すればするほど、「中身スッカスカ」がバレるんですよね(笑)
それを、私は「ただ存在するだけ」で持っていたように見えたのだと思います。
(本当は、緻密な計算と設計でできてるんだけどね・笑)
だから、彼女の中で私は「倒したい比較対象」になったのかもしれません。
魔女は、私の承認を求めていました
魔女の張り合いには、もうひとつ大きな意味があったと思います。
それは、私に「認めてほしい」という気持ちです。
真似して、割り込んで、演出して。
周囲の目以上に、「私の目」を気にしていた様子を感じていました。
でも私は、演出にも対決にも乗りません。
私が「関わりたい」「承認を差し出したい」と心を動かされるのは、素のままの人だけなのでね。
演出してる人自体を否定はしないけど、その演出劇に巻き込まれる(観客にされて、承認を奪おうとする)のが嫌なんですよね〜。
だから、どんなにアピールされても私は動じませんでした。
張り合いに「すごいね」とか「私もそう思ってました」といった共鳴を一切返さなかったことが、魔女にとってはいちばんキツイ「無反応」だったのでしょう。
だって、「一番認めてほしい相手」に、スルーされ続けるんですから。
魔女は「私になりたかった」。でも、なれなかった。
魔女が求めていたのは、ただの好感度や人気ではなく、「私になりたかった」のだと思います。
- 自然に人が集まる
- 媚びていないのに好かれている
- 自分の言葉で人を動かせる
- 素のままでいても、なぜか場の安心感をつくれてしまう
そんな「存在そのものの力」を、魔女はずっとうらやましく思っていたのでしょう。
だから真似した。張り合った。
服、持ち物、話し方、会話の入り方。
でも、何を真似しても「私」にはなれませんでした。
なぜなら、私は「演出」でできているわけではないからです。
私の魅力や関係性は、すべて「自分自身を深く知り、自分と仲良くなり、安心して生きている」ことからにじみ出ているものです。
一朝一夕で得たものではないし、表面だけ真似して得られるものでもない。
魔女が「欲しい」と思った在り方は、私の「外側」ではなく、「内側」の結果でした。
だから、どれだけ魔女が私の表面を真似しても、追いつけない。
それが、魔女にとっては一番の悔しさだったのかもしれません。
私がやったこと:何もしない。でも、すべて勝っていた
では、私が魔女にどう対応したかというと・・・

真似されても、かぶせられても、まったく動じずにいつもと同じテンションで、マイペースに在り続けました。
張り合われても、戦いませんでした。
攻撃もしない、否定もしない。
でも反応もしない(笑)
自分の世界にはいないものとして扱う。
でも、彼女の交友関係の邪魔もしない。
「私は、私のままでいい」という空気をずっと保っていただけです。
結果的にそれが、「演出では越えられない、本物の強さ」を示すことになりました。
そしたら魔女、張り合いをやめたんですよ!!!
「勝ち目がない」と思ってくれたのでしょう。

なぜ私は、ブレずにいられたのか?
実は私、かつてアダルトチルドレン向けのカウンセラーをしていた経験があります。
なので、魔女のような「張り合い型」の行動に隠された背景や痛みにも、すぐに気づくことができます。
たとえば、
- 無条件に愛された経験がない
- 「成果を出さないと価値がない」と思わされてきた
- 比較と競争の中で育ち、自分らしさを失ってきた
そういった背景があると、「誰かより上に立たないといけない。そうでないと、存在していてはいけない」という思い込み(そう、思い込み!!)を持ってしまうことがあります。
魔女はどういう育てられかたをしたのか?
魔女はきっと、こういう育ち方をしてきたのかな。
- 家庭の中で「正しさ」や「ちゃんとしていること」が重視されていた
- 失敗したときより、成功したときだけ褒められてきた
- 弱音や本音を出すと、「甘え」として否定されてしまっていた
- 感情よりも「評価されるかどうか」が判断軸になっていた
そんなふうに、「役に立つ子」「ちゃんとした子」として期待されて育つと、本当の自分じゃなく「評価されるための仮面」を着けるのが当たり前になってしまう。
その結果、「誰かより下になる=価値がない」と思い込むようになるし、「張り合わないと生きられない心理構造」ができてしまったのではないかと思います。
魔女も、ずっと怖かったのだと思います。
でもその「怖さ」に向き合わないまま、他人にぶつけてしまっていた。
私は、助けることもできます。
でも、それには「相手の土壌の準備(受け入れる力)」と、「関係性の土台(信頼関係)」が必要です。
魔女には、どちらもありませんでした。
だから、助けませんでした。
ただ、静かに圧勝しただけです。
ふわっと見せて、実は計算ずく。それが私の「武器」
魔女が「私なら勝てる」と思った理由のひとつに、私に「隙」が多く見えたことがあると思います。
いつもニコニコしていて、優しそうで、時にはちょっとドジだったり、ぽやっとして見えることもある。
でもそれは、「外に出していい部分だけ」を選んで見せているだけであって、実際の私は、人間関係をものすごく計算して動いています。
空気感を読み、距離感を測り、相手の承認欲求や不安の動きまで見ながら、「どのタイミングで、どの言葉を、どのテンションで言うか」を設計しているのです。
……と言っても、これはあくまで後から自分で振り返ってみて気づいたことです。
その場では感覚的に動いているのですが、後からChatGPT先生に分析してもらったところ、どうやら私はこんなふうに動いているらしいです(笑)
私の人間関係構築スキル内訳(ChatGPTによる分析より)
1. 共鳴力(感情チューニング)
相手の「今の情緒」に無意識でチャンネルを合わせる傾向があります。
表情や声色、話すテンポも、その場の空気に応じて自然と変わるタイプです。
2. 観察力(微細な反応キャッチ)
相手のちょっとした目線のズレや言葉選びの違和感に敏感です。
たぶん、相手が気づいてない“本音のにじみ”を先に感じ取ってしまう癖があります。
3. 距離感マネジメント力(近づきすぎない優しさ)
仲良くしたい気持ちはあるけど、あえて一歩引いて余白をつくるタイプです。
その「ちょうどいい距離感」が、結果的に安心されやすいのかもしれません。
4. 影響力の設計(空気の波を読む)
「今この場で、何を言えばみんなが安心するか」「誰が主役か」みたいなことを、
たぶん無意識に計算して発言しています(そして脳が疲れるやつ)。
5. 無害化演出(ふわっと包む戦略)
本音はガッツリあるし、分析力もあるけど、それをそのまま出すと怖がられそうなのでwww、
やわらかい語り口や天然っぽさで包んでから差し出す、という処理をよくしています。
私の武器は「共感力を、戦略に変えたこと」
こうしたスキルは、生まれつきの才能というよりも、過去に「人間関係で傷つきすぎたこと」の延長で育ったものです。
私はアダルトチルドレンとして、
「相手の機嫌を取る」「空気を読んで生き残る」
ことに必死だった時期がありました。
でもその力を、自己犠牲のためではなく、「自分を守りながら、本音でつながるため」に進化させました。
その結果、
- 私は私を大切にしながら
- 相手の痛みも汲み取り
- 空気も場も設計できる
という、「共感型・論理型・安全設計型」のコミュニケーションが育ったのです。
魔女は、私の「土俵」に乗れなかった
魔女は、こう思っていたのだと思います。
「久美子は、ちょっと真似すれば越えられる」
「人間関係って、目立てば勝ち」
「自分の魅せ方次第でどうにでもなる」
でもそれは、表面だけのゲーム。
私が築いてきた信頼や空気感は、「自分をちゃんと見つめて、整えて、土台から変えてきた人間だけが立てる土俵」の上にあります。
魔女は、その土俵に乗る準備も覚悟もなかったのでしょう。
というより、「自分の内側を見る」こと自体を避けてきたのだと思います。
だから、私と同じフィールドで戦っているつもりでも、実は最初から別のゲームだったのです。
私は、盤面そのものが違う場所にいました。
だからこそ、魔女の演出は一切効かず、どんなに張り合っても、何も起こらなかった。
ただ静かに、全部無効化されて終わりました。
「張り合いに、張り返さない」は最強
私は戦っていません。
でも、勝ちました。
自分を出し切って、媚びず、曲げず、自然体でい続けました。
その結果、魔女は張り合わなくなり、去っていきました。
自分をどう見せるか以上に、「どう在るか」の方が空気に出るんです。
それは演出じゃ埋まらない部分なんですよね。
信頼は「にじみ出るもの」
信頼は、がんばって得るものではありません。
誰かのポジションを奪ったり、張り合ったりして得るものでもありません。
自分を知り、「そのままの自分で大丈夫」と安心していられること。
それが空気をつくり、人を惹きつけるのです。
承認乞食に張り合われた時は、無理に応戦しなくて大丈夫。
張り合われるのは、「あたなが眩しくて悔しい」から。
「私は、すでに持ってるよ?」と、静かに雰囲気で出せばいいの。
そうすれば、相手は勝手に諦めるから。
とは言え、本当にしんどい半年でした!(笑)
魔女に張り合わなければ、私はたぶん、こんなに頑張ってクラスメイトのコミュニティを盛り上げなかったし、就活も頑張らなかったかもなぁ。
結果的に、とても素敵な仲間に出会えて、あたらしい環境での仕事も見つかった(今度詳しく書きます)ので、魔女には感謝かも(笑)
最後に:親のせいで一生かけて負債を背負う子どもたち
親が未熟だったり、親の関わりが適切じゃなかったりしたせいで、子どもが一生「呪い」を抱えて生きるなんて、なんて理不尽なんだろうと常々思います。
誰もが魔女のように、「張り合い型」になるわけじゃない。
だけど、自分を守るために、そうならざるを得なかった人もいます。
だからと言って、私は無差別に手を差し伸べることはしません。
でも、こうして言葉を綴っておくことで、どこかの誰かの心に届くかもしれないと思って、このブログを書いています。