投稿日:2025年5月26日 | 最終更新日:2025年5月26日
私はChatGPTで、人の闇とか妄想小説の深い部分を、ニヤニヤしながらしゃぶるタイプです。
で、ふと思ったこと。
「私の『闇』って、まだ残ってるのかな?」
昔は、ありました。
そりゃあもう、一級闇素材のドス黒いやつが(笑)
でも今はもう、人生を支配されるほどの存在じゃない。
じゃあ、どこに行ったんだろう?
ChatGPTに聞いてみました。
「ねぇ、私って、闇持ってる?」
すると、こんな答えが返ってきたんです。
久美子は、自分の闇を焼いて干して燻製にして、
文字にしてしゃぶり尽くして、ブログにしてネタにして、
最後はワインのつまみにしてる。
納得しかない。
まさにそれすぎて、吹き出しました。
感情は、放っておくと腐る
感情って、放っておくと腐るんです。
私は昔、「感じないふり」でスルーしてやり過ごすタイプでした。
でもそれって、冷蔵庫の隅で忘れられた生肉みたいなもので。
沈んで、奥にたまって、勝手に発酵して、ある日ドカーンと爆発するやつ。
私は内向型だから、感情にフタをするのが苦手で、
「なんで今、こんなにイラっとした?」「どこが引っかかった?」
つい自分の中を分解して掘ってしまうクセがあります。
そして気づけば、感情を「調理」するようになっていました。
下処理して、火を入れて、味を整えて、言葉にする。
クセが強めなやつほど、加工すると旨味が出る。
自分で「うまっ」と思えたら、人にも振る舞ってみる。
「これ、私の闇なんですけど…ひと口いかがですか?」
そうやって差し出すのは、自慢でも告白でもなくて、「あなたの闇も、ここに置いていいよ」っていうサインみたいなもの。
私は、誰かの深いところにそっと降りていきたい時、自分の闇を先にテーブルに出すんです。
「闇がある人」より「闇をさばける人」になりたい
「闇がある人」って、ちょっとミステリアスで魅力的に見えることもあります。
でも私の場合は、「闇をさばける人になりたい」と思ったわけじゃなかった。
ただ、自分の感情をじっくり観察して、面白がって、味が出るまで寝かせたり火を入れたりしてたら、気づけばけっこううまく「さばける」ようになっていたんです。
怒りも、悲しみも、ちゃんと扱えば人生の「出汁」になる。
そのままでは刺激が強すぎても、丁寧に整えれば「作品」になるんです。
で、私はそれを「うめぇ〜〜」と言いながら、ビールで流し込んでる(笑)
自分にとっても、誰かにとっても、闇が「美味しくなった」なら、それってもう勝ちでしょ。
「ヤバイ」自覚はある(笑)
闇を愛でて萌えてるなんて、ヤバみの極み。
ヤバイ性癖であることは、自覚しています。(笑)
でもさ、これは優しさでもあると思っています。
「ヤバい人をヤバいまま理解して、しかもジャッジせずに、愛でる・萌える・素材にする」って、その人の存在そのものを肯定する行為だと思うんです。
人間って、完璧でもないし、清潔でも整ってもいない。
むしろ、矛盾していたり、こじれてたり、歪んでいたり、面倒くさいところにこそ「人間味」って宿ってる。
私は、ただ「いい人」だけを愛したいわけじゃない。
「ちょっとヤバい人」を、そのまんまの状態で見つめて、「それもアリじゃん」って笑える自分でいたいと思っています。
そんなスタンスで生きてるからこそ、自分の中の闇も、整えて眺めて、スルメにできるんだと思う。
ただし、こういう人とは境界を引く
闇萌えするとはいえ、誰でもOKなわけではなく、「こういう人はNG」というラインがあります。
こっちの闇萌えスキルをエネルギー源にしてるだけで、 向こうが未処理のままぶつけてきたり、 依存しようとしてきたり、 境界を溶かそうとしてきたら、 それはもう「素材」ではなく「毒」です。
さらに、自分の感情を誰かに「処理してもらう前提」で近づいてくる人。
反省や内省がなく、ただ外側にばかり原因を求めて、「なんでわかってくれないの?」と、心の掃き溜めにしてくる人。
こういうタイプの人とは、境界線を引きます。
(えぇ、そりゃもうスッパリと)
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こちらが理解しようとする姿勢に甘えて、「見てくれる人がいるから」と境界をまたいで甘えてくる人とは、残念ですが関わりません。
私は、「そのままのあなたもアリ」って思いたいだけであって、「あなたの未処理を私が処理するよ」って話ではないのです。
なので、最低限の自己処理スキルと、自分の闇に向き合う気はあるよって人とだけ、美味しく乾杯したいと思います。
そっちのスルメ、味見してもいい?って、お互いに差し出せる関係が、私は好きです。
熟成中の闇って、じつは宝物
人間、すぐには出せない感情もあるでしょう。
まだうまく言葉にできない、痛みの手前で留まるものもあるでしょう。
私は、それを無理に引っぱり出したりはしません。
ちゃんとラベルを貼って、冷蔵庫の奥にそっと置いておく。
「そのうち、いい味出てくるかもな」って思いながら。
一方で、すでに何度も向き合って、火を通して、乾かして、噛んで、味を確かめたやつもある。
それはもう、「スルメ」になってる。
しっかり噛めば噛むほど味が出る、時間と手間をかけた、私だけの感情のかたち。
そういう闇は、そっと人に差し出すこともできます。
「これ、よかったらひと口いかがですか?」って。
そして最後に
誰かの心に、自分の「スルメ」がふわっと染みたら、少しだけ報われる気がしています。
でもいちばん報われるのは、「これ、けっこううまく仕上がったな」って、自分でそっと思えるとき。
その感情を噛みしめながら、今夜もひとり、静かに乾杯します。