投稿日:2023年9月25日 | 最終更新日:2023年9月25日
2023/8/29
私の敬愛する、ロックボーカリストのakiさんが亡くなりました。
訃報を知ったのは、9/1。
それから、何度も何度もブログを書こうと、スマホのメモ帳を開くのだけど、言葉を書こうとすると、涙が溢れて打てない。
あまりに毎日泣いていると、私の家族もakiさんも心配するだろうと思い、なるべく考えないようにしてみたりするのだけど、
やはり、無理してる部分があるのかな。
余計に深く考えてしまい、闇落ちしそうになる。
キレイにまとめようとすると、全然書けないので、とりあえず「今」感じていることを書こうと思います。
今は、akiさんが残した数々のブログを読み漁っています。
ご参考
akisbar(2006.12~2008.8)
https://akisbar.exblog.jp/
akisite(2008.8~2009.10)
https://akisite.exblog.jp/i4/
akizone(2009.1~2010.9)
https://akizone.exblog.jp/
aki Blog(2008.9~2013.7)
http://fmbaki.blog105.fc2.com/
しかし、ようこんなにブログを立てたもんだね。
他にもあったら教えてね。
大事な人が残した言葉って、こんなにもありがたいものなのかと。
なので、私も頭で考えず、感情の赴くままに残しておきたいと思いました。
キレイにまとめたものもそのうち書きたいのだけど、今はちょっとごめんなさい。
書けないです。
インスタやTwitterには軽く書いたけど、akiさんは私にとっては「母親」のような存在でした。
実の母親が毒親なので、適切に依存させてもらえなかった私は、幼少期にはもう、親に心を閉ざしていました。
そんな中で出会った、Laputaというバンド。
akiさんの他にはない声も、激しくも美しい曲にも、ライブも衝撃的で、一発でハマりました。
母に依存できなかった私は、Laputaのおっかけという形でakiさんに依存していきました。
Laputaが解散してからは、ソロ活動をするakiさんを追いかけて。
遠すぎるわけでもなく、近すぎるわけでもない程よい距離感で、どっぷり依存していました。
認知してもらえたり、ブログ(このブログではないです)を読んでもらえたり、プレゼントを身に着けてもらえたり。
それだけで、自分は生きてても良いんだと、自分を肯定できました。
ACで、精神的に自立できていなかった私は、akiさんに依存することで自尊心や自己肯定感を満たしていたと思う。
akiさんがいなかったら、とっくに死んでたかもしれない。
だから私は、akiさんに育ててもらったような感覚です。
aki畑育ち(笑)
結婚して子どもができてから、全然ライブには行けなかったけど、行けば温かく受け入れてくれる。
まるで実家のように、akiさんの存在を感じていました。
それが今、会えなくなってしまったことで、母親を亡くしたような、実家を失ったような喪失感に襲われています。
生きていて会えないのと、肉体が亡くなってしまうことでは全然違う。
こんなにも悲しく寂しいものなのかと。
今、頭をよぎるのは、ああしておけば良かった。こうしておけば良かった。という後悔ばかり。
もっとライブに行けば良かった。
もっと、大好きを伝えれば良かった。
インスタを遡っていたら、直近で「大好き」を伝えたのは、2年も前だった。
多少無理をしてでも、ライブに行けば良かった。
子どもが小さいからとか、ライブ代高いなぁとか、そんなん今考えたら大したハードルじゃない。
もっともっと、akiさんに近づけば良かった。
そんな後悔ばかりです。
どうしたら気持ちを昇華できるのかわからない。
でも、このまま闇落ちするのは、akiさんが絶対怒るよね。
なんで死んだの?
なんでいなくなっちゃったの?
何度も何度も心の中で聞いてみるけど、答えてくれなくて寂しいよ。
苦しかった?
寂しかった?
怖かった?
akiさんは私が辛い時にいつも支えてくれたのに、最期に支えてあげられなくてごめんね。
そんな思いはおこがましく、akiさんに失礼かもしれないけど、自分の気持ちも肯定したいので、書かせてください。
亡くなってから49日は、この世にいると聞くので、あと半月くらいか。
ちゃんと私の気持ちは届いてる?
心配かけないように、前を向けるように頑張るからね。
かっこよくて可愛くて、優しいakiちゃん。一生、大好きだよ。